SNSに映る小泉進次郎叩きと、リベラルから現実主義への世界的な転換。保守回帰する時代における政治家の立ち位置を、小泉進次郎と山本太郎の対比から考察する。
長年のプログラミング熱が冷め、文章に魅了されるようになった。ChatGPTと共に書くことで気づいた、創作の新しい可能性。
効率主義は個人の選択のように見えて、実は資本主義という文化を複製するために、自らを「使い捨ての乗り物」として最適化しているのではないか?
費用対効果を重視する生き方は、個人の幸福という観点で見た場合、本当に理にかなっているのだろうか?
今やSNSとは名ばかりのコンテンツ配信サービスと化してしまった。本来のSNSを取り戻そうとする動きに期待した時期もあったが、もはやつながりを具現化するSNSはもはや不要だと思っている。
投稿の全削除は悪いことのように見られがちだ。だが過去に区切りをつけ、新しい環境に適応しようとする前向きな全削除も少なくない。黒歴史化した過去の投稿は、成長の残滓とも言える。
効率化こそ正しいという風潮が、暮らしからていねいさを奪い、幸福を痩せさせている。服、旅、食事の体験から効率主義と距離を置く意味を考える。
次世代により多くの遺伝子を残す方向に遺伝子プールの淘汰圧は働く。この方向は人間個人の幸福を最大化することを目的としていない。人間の幸福は淘汰圧と関係のない中立的な遺伝子によるところが大きいのではないか、という話。
周囲を見渡してみると、幸せな結婚生活を送っている人はそれほど多くはない。なぜ人は客観的事実を無視して、結婚したら幸せになれると思うのだろう。
日常に喜びを感じる機会が多いほど幸福度は上がる。そうなるためには日常の解像度が高い必要がある。言い換えると幸福の感度が高い必要がある。